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112 :名無しさん@おーぷん
子ども時代に祖母に衝撃を受けたこと。
小学校の授業で戦争について習ったので祖母に戦時中の暮らしを聞いたら
「田舎の別荘に疎開していたから不便だっただけwww。大嫌いな勉強も習い事もせずに済んだから楽しかった。
お手伝いさんも連れて行ったので至れりせりだった。戦争が終わって京都の実家に帰ったら
駅の周辺に戦災孤児や被災者が寝泊まりしていて迷惑だった。
あんな野良犬みたいな連中初めてみて衝撃だった。保健所で始末してほしいよね、と友達と一緒に笑った」だった。
元々お嬢様育ちで子育ても家事も家庭教師と家政婦に丸投げして家におらず
旅行美食買い物三昧だったと知っていたが今更ながら頭のネジがはじけた人だったんだろう。



113 :名無しさん@おーぷん
はじけた→抜けたです。すみません
114 :名無しさん@おーぷん
抜けてようがどうせ頭弾けた人なんだから変わらない
115 :名無しさん@おーぷん
>>114
祖母は資産家の家庭に生まれて資産家と結婚し、介護も家事も育児もせずに
贅沢三昧の世界一幸せな人だったと思います。
羨ましいとは思いませんが・・。
116 :名無しさん@おーぷん
女王蟻みたいなお祖母様なんだね、ただ産むだけ
117 :名無しさん@おーぷん
自分も戦前の(元)資産家お嬢様に接した事ある
当時1990年代で80代だから、生まれは1910年代かな。
苦労した私の祖母と違い腰なんか曲がってないの。いつも紬の着物を着てね。

うちはお嬢様の別荘を一時商用に借りてた関係で、鍵を預かってた。
だからかお嬢様はうちを管理人扱いしてて避暑に来る前に掃除しろだの言われてた。
その日、所用で母と訪問したら、その年代にも係わらずホットケーキを焼いてた。
ビックリした。うちの祖母を見てたから、お婆さんという人種が作るのは郷土料理だと思ってたからね。
ハイカラだなオイ、モボかよと。
で、他人全てが召使だと思って生きてきたからか、ついて来ただけの自分(当時10代)にまで
フォーク取ってとか言いつけてくる。日ごろから親しんでたならわかるけど、10年ぶりに会った無関係の子供をこき使うわけ。
どんだけちやほやされて育ったのかと衝撃だったよ。

よく、「昔は良かった」っていう人がいるけど、あの横柄な身分制度が容認されてた実態を知らないんだろうね。
119 :名無しさん@おーぷん
>>117
「嫌です」ってちゃんと言った?
「んまぁ!?」とか言って怒りそう、偏見だけど
120 :名無しさん@おーぷん
>>115
ノブレス・オブリージュは戦前の日本でも普通に教育されてるものだと思ったのだけど
そうでもなかったのか、戦時中で教育が行き届かなかったのか?
本人は幸せなのかも知れないが他人には共感されにくい人生だったのかな?
121 :名無しさん@おーぷん
>>120
ノブレス・オブリージュは「名家」に課されるものであってただの「金持ち」は持ってないんじゃないでしょうか。
武家の流れを汲み代々軍人を輩出された家のご子息が特攻隊として戦タヒしている横で
成金は軍からちょろまかした物資を闇市で売りさばいて大儲けしていたという話もありますし。
家は金持ちといっても商家の筋でしたのでそういった精神はなかったと思います。
122 :名無しさん@おーぷん
>>121
いとはんこいはん(だっけ?)の世界かな







引用元:http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1456802685/