男「てめえ、ビール瓶でブン殴ってやる!」女「いやぁぁぁ!」
女「ねえ、こないだのオーディションどうだったの」
男「……」
女「どうだったの」
男「うるせえなぁ、黙ってるってことはそういうことだよ。察しろよ!」
女「ねえ、もういい加減、音楽で食べてくなんて夢見ることやめてよ」
女「あたしの方は経営順調だけど、いつまでもあんたを養うのはゴメンなんだから」
女「そろそろ現実を見て、普通の会社に入って、真面目に働いて……」
クドクドクドクドクド…
男「……」イライラ
女「!」
男「人が落ち込んでるってのに、ゴチャゴチャいいやがって!」
男「てめえ、ビール瓶でブン殴ってやる!!!」
女「いやぁぁぁっ!」
紳士「おやめなさい」
紳士「失礼ながら先ほどからあなた方の会話を聞いておりました」
紳士「あなたがどのような人生を歩むかはあなたの勝手ですが、ビール瓶で人を殴るのは頂けません」
紳士「ビール瓶なんかで殴ったら、彼女に大怪我をさせてしまいますよ」
男「なにいってやがる」
男「よく映画やドラマなんかじゃ人を殴る道具に使われてるじゃねえか。パリィンってよ」
紳士「あれはアメ細工で作ったニセモノです。割れるようにできているのです」
紳士「本物の瓶はものすごく硬いのです。立派な凶器なのです」
男「まずてめえから――」
紳士「ビール瓶が泣いているぞッッッ!!!!!」
男「!」ビクッ
女「!」ビクッ
紳士「大声を出しました。失礼」
紳士「ビール瓶というか、ガラス瓶全般にですがね」
男「どうでもいいよ!」
男「とにかく、中身のなくなった空き瓶なんてもう何の役に立たねえガラクタだ!」
男「こんなもん、人を殴るくらいにしか使えねえじゃねえか!」
紳士「中身のなくなった瓶は、役に立たない……?」
紳士「ククク、フフフ……ハハハハ……」
男「何がおかしいんだよ!」
紳士「今日はあなたに、簡単にですがガラス瓶のなんたるかをレクチャーいたしましょう」
男「あんた……何者だ?」
紳士「私、こういう者です」スッ…
≪ガラスびんを愛する会会長≫
男「なにこの会……」
女「へぇ~、こんな会があるんだ」
紳士「会員数はまだ8000人程度ですがね」
男「結構多いな!」
男「ん~、中世ぐらい?」
紳士「なぜそうお思いに?」
男「いや、中世ヨーロッパの教会ってステンドグラスが張られてたりしたでしょ?」
男「だから、そのぐらいかなーって」
紳士「最古のガラス瓶は、紀元前16世紀後半にメソポタミアで作られたものといわれています」
男「16世紀? なんだ、案外新しいんだな」
女「違うわよ! 紀元前よ!」
紳士「はい、つまりおよそ3500年前です」
男「えぇ~っ!?」
女「3500年前!?」
男「関ヶ原の合戦が1600年で、倍にしても3200年……関ヶ原の合戦を二回も起こせるじゃねえか!」
女「落ち着いて!」
紳士「メソポタミアからエジプトへ、さらにヨーロッパ各地へ伝わっていったといわれています」
紳士「西暦700年~800年の頃にはすでに日本にもガラス容器が伝わっていたと考えられます」
男「へぇ~」
女「そのぐらいっていうと、平城京だとか平安京の時代ね」
紳士「これが正倉院の≪白瑠璃椀≫の写真です」
男「ガラスのお椀か。現代でも普通に通用するデザインだな」
女「うん、こういうお椀でデザート食べたらおいしそう!」
男「え、と……ガラスとか?」
女「バカ! ガラスでガラス作ってどうすんのよ!」
男「冗談だよ、冗談」
紳士「いえ、実は正解の部分もあります」
男「え!?」
女「どういうこと!?」
男「どれもよく分からない……」
紳士「ケイ砂は主な成分は二酸化ケイ素で、砂場などにも混じってる白い砂です」
男「とりあえず、砂ってことで」
紳士「ソーダ灰は食塩から作った炭酸ナトリウムのことです」
紳士「石灰石は道路の線引きにも使われるアレです」
男「ああ、アレね」
女「カレットというのは?」
紳士「ゴミとして出されたガラス製品を砕いたものをカレットというのです」
男「つまり、ガラスか! さっきの『正解の部分もある』ってのはそういうことか!」
紳士「はい、カレットには他の原料を溶けやすくする働きがあるのです」
男「ふむふむ」
紳士「混ぜ合わさられた原料は溶解炉に送られ、溶かされます」
紳士「その時の温度はなんと1600℃」
男「1600℃!?」
女「もし人間が入ったらあっという間に燃え尽きちゃうわね」
紳士「炉の中で原料は溶け合い、水あめのようなガラスが出来上がります」
紳士「このためガラスの塊を製瓶機に入れます」
紳士「金型にガラスを入れ、高圧空気を吹き込み、ガラスを金型の形状に膨らませるわけです」
男「これでどろどろのガラスが瓶の形になるってわけか」
女「よくテレビの伝統工芸の番組で、職人さんがフーフー息を吹き込んで」
女「ガラス容器を作る場面があるけど……あれが完全に機械化されてるわけね」
紳士「その通り」
紳士「この製造法をプレスブロー方式といいます」
男「除霊? お祓いでもするの?」
紳士「違います、徐々に冷やすことです」
紳士「徐冷炉というところに入れて、一時間ぐらいかけてじっくりと冷やすのです」
女「どうして徐々に冷やすの?」
紳士「急激に冷やすと、ガラスが割れたり、形がゆがんだりするおそれがあるためです」
男「あ~……俺、理科の実験で火であぶった試験管を水につけたら割れちゃって」
男「先生に怒られたことあるよ」
紳士「これでクラックや欠けのある瓶は除去されます」
紳士「最後に瓶の用途に応じてラベルを印刷すれば、晴れてガラス瓶の完成というわけです」
男「おお~」パチパチパチパチ
女「素晴らしい~」パチパチパチパチ
紳士「その通りです」
男「あ、そうだ。ビール瓶はなんで色がついてるの?」
女「あたしも気になってたわ!」
紳士「ビールは日光に弱い飲み物です。直射日光を浴びると風味が落ちてしまいます」
紳士「それを防ぐためにビール瓶は茶色になっているのです」
男「そうだったのか……単なるデザインだと思ってた」
紳士「ガラス瓶はリサイクルの観点から、≪リターナブル瓶≫と≪ワンウェイ瓶≫に分けられます」
男「それぞれの違いは?」
紳士「リターナブル瓶は洗って何度も使うことができます。ビール瓶もこれです」
女「空になったビール瓶を酒屋さんに返したりするものね」
紳士「一方、一回きりの使い捨ての瓶をワンウェイ瓶といいますが」
紳士「こちらも使用後は砕かれ、さっきも登場したカレットとして生まれ変わり、再利用されます」
紳士「今ではガラス瓶は重い、割れやすいという理由でペットボトルに取って代わられてしまいましたが」
紳士「ガラス瓶は環境保護の観点から見ても、非常に優れた容器なのです」
紳士「あなたはこれでも空き瓶は役立たずというのですか?」
紳士「ビール瓶で人を殴ろうというのですか?」
男「ぐっ……!」
男「すみませんでした……」ガクッ
紳士「分かっていただければそれでいいのです」
男「もし割れちゃってもカレットとして再利用できる」
男「それに比べて俺は……! 俺は……ッ!」
男「ビール瓶は俺なんかより、ずっと社会の役に立ってるじゃないか……」
男「俺……音楽、きっぱり諦めるよ」
女「なにいってんの。もうちょっとだけ頑張ってみなよ」
女「さっきはあたしも言いすぎたからさ……あたしはあんたのファンなんだから」
男「……ありがとう」
紳士「では私は退散するとしましょう」
男「フンフフ~ン♪」
男「ダメだ……全然いいフレーズが思い浮かばない」
男「あいつはああいってくれたけど、俺にも才能がないのは分かってる」
男「なにを歌っても、なにを演奏しても、イマイチパッとしないんだよな俺って」
コロコロ…
男(ん? スタミナドリンクの瓶が転がってやがる)
男(ああ、オーディションに向けての作曲や練習のために徹夜したからな)
男(ま、結局オーディションは不合格だったわけだけど)
キンッ
男「お?」
キンッ キンッ キンッ
男「へぇ~、ガラス瓶っていい音出るんだな」
男(そういや、こうやって笛のマネしたりしたっけ)ボォーボォー
男(もしかして、ガラス瓶って容器だけでなく楽器としても、ものすごく可能性を秘めてるんじゃ……)
男「これだ!!!」
男「インターネットで調べてみると、瓶で作った楽器を演奏してる人は多い」
男「中には本格的にコンサート開いてる人もいる」
男「世の中、ガラス瓶を楽器にして活躍してる人が大勢いるんだ!」
男「俺はたしかに普通の楽器を扱う才能はなかったのかもしれない」
男「だけど、もしかしたらガラス瓶を扱う才能はあるかもしれない!」
男「よぉ~し、俺だって!」
…………
―コンサート会場―
男「来て下さってありがとうございます!」
紳士「こちらこそ、お招き頂きありがとうございます」
男「もし、あの居酒屋であなたと出会ってなければ、今日の成功はなかったですからね……」
男「このコンサートには是非、あなたに来て頂きたかったのです」
紳士「特等席であなたの演奏を拝見いたしますよ」
女「頑張ってね!」
男「ああ……ガラス瓶の奏でる旋律を心ゆくまで楽しんでくれ!」
司会者『ガラスのボトルに秘められた音楽の可能性を極限まで引き出した天才音楽家!』
司会者『どうぞ皆さま、今宵は極上のボトル・ミュージックに酔いしれて下さい!』
パチパチパチパチパチパチパチパチ…
男「では最初の曲は……私の目を覚ましてくれた、ある一人の紳士に捧げます」
男「≪ビール瓶は鈍器じゃない≫!」
ワアァァァァァ……!
紳士(一瞬より短くも感じられたし、永遠より長くも感じられた)
紳士(彼の奏でる音楽の数々は、“ガラス瓶を楽器にした物珍しさ”を武器にする必要などないほど)
紳士(超一流の域に達していた)
紳士(≪ガラスびんを愛する会会長≫として、尊敬どころか嫉妬すら抱いてしまっていた)
紳士(彼が全ての曲目を終えた時、観客達は全員立ち上がり)
紳士(いつまでも拍手は鳴り止まなかった……いつまでも、いつまでも……)
紳士「私、涙が止まりませんでしたよ。ハンカチがすっかり湿ってしまってます」
男「そこまでおっしゃって頂けると光栄です」
女「まさか、あなたにここまでの才能があるとは思わなかったわ」
紳士「ええ、花が咲くきっかけというのは分からないものです」
男「そうだ。よろしければ、この後私の家で軽く飲みませんか。打ち上げということで」
紳士「ぜひ」
女「ジャジャ~ン、瓶ビール買ってきたよ~!」カチンッ
紳士「おお、嬉しいですな」
男「ここで缶ビールにしないのはよく分かってる!」
女「あたしはできる女なのよ!」
紳士「酔っぱらって、ビール瓶で殴りかからないで下さいよ」
男「あの時は本当にすみませんでした……」
紳士「ハハハ、冗談ですよ」
男「……ってあれ、栓抜きがない」キョロキョロ
紳士「困りましたね」
男「歯で開けるって手もあるけど、あれやると歯が欠けちゃうかもしれないからなぁ」
女「だったらあたしに任せて!」
紳士「おや? どうするのですか?」
ザンッ!
女「ほら、切れたわ」シュワワワワ…
紳士「おぉ~……手刀でビール瓶を……!」
紳士「そういえば、彼女はなにか“経営”をされているとのことですが、いったいなにを?」
男「はい、空手道場を……」
紳士「あの時、ビール瓶で彼女を殴らなくてよかったですねえ」
男「まったくです……」
おわり
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コメント一覧 (23)
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- 2017年11月21日 03:48
- てっきり日馬富士的な何かかと思ったわ
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- 2017年11月21日 05:01
- ビールを手刀で斬るのはセーフなのか…?
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- 2017年11月21日 05:44
- 練習すればビール瓶を手刀で切ったように見せれるらしい
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- 2017年11月21日 05:46
- よ そ で や れ !
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- 2017年11月21日 07:01
- マジかよ...横綱最低だな!
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- 2017年11月21日 09:06
- すげぇ初めて聞いた
何をするだァ!横綱ァ!!
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- 2017年11月21日 09:37
- θ馬富士は関係ないだろ!
お前らの時代は終わったんだよ!
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- 2017年11月21日 10:25
- おれおぼえた
最後のビール瓶はカレット行き
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- 2017年11月21日 10:36
- 俺も彼女が説教中にメールしてんのかと…
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- 2017年11月21日 10:40
- 貴ノ岩「いや、自分なにで殴られたか見てないっすから。ビール瓶のような何か硬いので殴られたっすから。」
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- 2017年11月21日 10:42
- この時事ネタで色々展開してくれるニキ好き
全部同じ人かな? センス高い
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- 2017年11月21日 10:55
- 白鵬の悪いぞ。どーせ面白がって止めんかっただろうな。
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- 2017年11月21日 11:49
- ※12
本場所では投げ飛ばしてる日馬を止められない訳ねーもんな
あえて止めなかったor今までが八百長のどっちかしかない
白鵬は酔ってて覚えてないって言っておくのがベターだったのにね…
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- 2017年11月21日 12:10
- ビール瓶と言えば底面砕いて凶器にするの失敗して粉々にしたチビ思い浮かぶ
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- 2017年11月21日 12:32
- 相撲とか家出少女15歳のSS思い出すわ
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- 2017年11月21日 12:51
- 硝子の解説で紳士が一瞬だけバカになるところ好き
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- 2017年11月21日 13:44
- 太くて堅い物でヤられちゃったんです///
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- 2017年11月21日 13:52
- 時事ネタから全然違う話に展開するのすき
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- 2017年11月21日 19:32
- 素直な王道展開に加えお約束のオチで楽しく読めた
好き
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- 2017年11月22日 06:40
- プレスブローを一瞬でプロレスラーに変換する俺の脳の残念さが露呈したSSだった……
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- 2017年11月22日 10:06
- このシリーズほんとすこ
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- 2017年11月23日 00:13
- 冒頭のリターナブル瓶が使い回された末、最後のシーンの瓶として戻ってきたってオチになるかと思った
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- 2017年11月24日 02:20
- 今、日馬富士に見せてあげたいSSランキング断トツの一位ですわ