708 :名無しさん@おーぷん
長いので読みとばしてください。つまらない半生記だ。

俺は現在40代だが、反抗期という時期がないままに成長した。
父は暴力こそふるわないが非常に口うるさい人で、亭主関白というよりは家庭内暴君だった。
母は無気力(のちに鬱病と診断された)。俺はひとりっ子。
朝晩の食卓は父の説教&演説オンステージを、母と俺で黙って聞きながらもそもそとメシを食うという儀式だった。
俺は父に逆らったことがなかった。逆らおうとも思わなかった。
黙ってはいはい聞いてる方が楽だったからだ。
父をうるさいとか嫌いだと思ったことすらなかった。
父は父でしかなく、「この人の言うことさえ聞いてりゃいいんだ」という対象だった。
父の言うがままに勉強し、父の命ずる高校に入り、地元の大学に進んだ。
いま思えば趣味すらなかった。
父は釣り好きだったのでたまに連れて行かれたが、べつに釣れても嬉しいという感情はなく
釣れたら父に叱られないのでほっとする、という程度のことだった。
709 :名無しさん@おーぷん
大学卒業後は公務員ではないがそこそこ堅い職について、見合いした。
四回見合いして、四回目の人が父の気に入ったのでその人と結婚した。
当然同居。
俺は女と付き合った経験がなかった、風族も行ったことなかった。純童貞だった。
妻とは初夜がうまくいかず、そのままセッ●スレスになった。
俺の方がEDでだめだった。
妻に「別居したい、お義父さんと離れたい。あなたも離れればEDが治るのでは」と言われたが
断って、結局二年半で離婚になった。
別居は考えられなかった。父から離れたるのがなぜか怖かった。
710 :名無しさん@おーぷん
その後再婚のためたくさん見合いしたが、父が「最初の嫁が一番よかった」と言い
誰も気に入らなかったので再婚しなかった。
父はたまに前の妻に電話したり、しつこく復縁を迫っていたようだ。いま思えば父が妻を好きだったんだと思う。
たぶんセクハラもしていただろう。しかし復縁は前妻が拒否しつづけ、立ち消えた。
711 :名無しさん@おーぷん
俺が41歳になった時、父が入院した。
父は看護師や医者にも暴君を押し通そうとし「困ったおじいちゃん」扱いで苦笑されていた。
苦笑されている父を見て、俺は初めて「うちの父はみっともない人だな」と思った。
医者は付き添いをしている母を見ておかしいと思ったらしく、精神科を紹介した。鬱病の診断がおりた。
あまりにも長いこと鬱状態だったから、人格が消えかけているとまで言われていた。
俺もかかれと言われたが、断った。鬱病だと言われたらと思うと怖かった。
712 :名無しさん@おーぷん
父も母も家にいなくなった。
俺は会社の飲み会に初めて出席した。一軒目は居酒屋で、二軒目は忘れた。三軒目はバーだった。
俺は日本酒もビールもだめなのでずっと甘いチューハイだった。
三軒目はカクテルを出す店で、カウンターだった。
その店のカウンターにいるバーテンダーがすごく聞き上手な人だった。
俺は翌日もそのバーに行った。親が入院中で、自由なはずなのに何もすることがないと話した。
なにをしていいかわからないと話すと、バーテンダーは
「今までのことを全部日記みたいに書いてみるといいですよ。文章にすると整理されるから」と言い
「書いたらまた来てください」と言った。
俺は言われたとおり子供時代から現在のことをずっと書き、書いてないときも考え、整理してまたバーへ行った。
バーテンダーに話すと、さらに心が整理された。
バーテンダーは父を毒親だと言い、自分も毒親育ちだがあなたは重症なケースだ、今のうち家を出なさいと言った。
でも俺は怖くてやっぱり家を出られなかった。
そのかわりバーに通った。
713 :名無しさん@おーぷん
父が退院してきた。
退院してきたから世話をしなくちゃいけないのだが、俺はバーに行きたかった。
しかし父は「会社からまっすぐ帰ってこい」と言う。「酒なんか飲むな、無駄づかいするな」と叱られた。
俺は隠れてバーへ通った。でも帰りが遅くなるし、酒臭いからすぐばれた。
ある日帰ると父が母を叩いていた。暴力はふるわない人だったんだが体がきかなくて苛立ったんだろう。
俺は怖くて、帰らなかったふりをしてバーに行った。
そして「父が母を叩いてたけど止めなかった」と言った。
バーテンダーは「今からでも帰ったらどうです」と言った。俺は帰らなかった。
バーテンダーに軽蔑されたのがわかったが、ちびちび飲んで11時ごろ帰った。

その日からしばらくバーに行けなくなった。
半月くらいして、父にささいなことで蹴られた。父は布団に寝ていて、俺はその横に座っていて
風呂に入れるので服を脱がそうとかがみこんでいたら、頭を蹴られた。
カーっと頭に血がのぼって、俺は父の足を掴んで「今俺に何した!謝れ謝れ謝れ!」と怒鳴った。
父がつばを吐いてきた。殴りたかったが、できなくて、家を出てバーに行った。
バーで話してるうち、涙が出てきて、バーテンダーは俺を奥に座らせてずっと泣かせておいてくれた。
714 :名無しさん@おーぷん
俺はその晩バーテンダーのアパートに泊まりそこから出社した。
家に帰るのが怖くてバーに直行し、またバーテンダーのところに泊まった。
会社と携帯に父から電話が何度もあったが、会社には相手にしないよう頼んで、携帯は拒否した。
三日目はカプセルホテルに泊まった。四日目、風族に行った。
勃起しなかったけど女の子が優しくてびっくりした。
その日から風族に通って、8回目か9回目で初射精した。女の子がすごく喜んで誉めてくれて、泣いてしまった。

そして現在に至ります。
当面の目標はアパートで独り暮らしをすること。
父は要介護でもなんでもなくただの甘えだとわかったので最近は突き放している。母は薬を飲んでるが劇的な改善はない。
風族は今、月1回にしている。バーにも週2で通っている。
趣味ができた。笑われるだろうが、ラノベを読みあさっている。ライトミステリーなんかも好きだ。
ちょっとずつ人間らしくなっている気がしている。
717 :名無しさん@おーぷん
>>714
あなたが少しずつ人間らしくなっていってよかった
読んでて、以前の自分を客観視できてるのがわかる
もう大丈夫だね
遅い青春を謳歌しなよ!
718 :名無しさん@おーぷん
>>714
苦労したね、ホント。俺もあなたと同じ年代の毒親持ちだよ。
俺はかなり反抗的な人間だったから、暴君だった父親と毎日衝突して毎日殴られてたけど、
そのおかげて「あ、この人おかしい人なんだ」って割りと早い時期に思えたんだ。
当時は毒親なんて言葉も無かったし、暴君ってのがピッタリだと思ってたな。
家の前で友達と話してるだけで怒鳴りこんで友達を蹴散らす様な人だったよ。
「おまえの親父さ…かなりアレだよな」みたいに言われたから余計気付きが早かったのかも。
うちの親父は奇跡的に改心して、今では好々爺然としてるけど、お袋にはたまに
大声出したりするらしい。治らないものもあるんだなって思う。

出来ればお袋さんには離婚してもらうのが一番いいと思うんだけど、無理かね?
鬱の原因となってる人と一緒に居たんじゃ絶対に治らないよ。無事に脱出出来たあなたなら
何より分かると思うけど。

これから先、楽しい事、嬉しい事、たくさん待ってるよ。
あなたを好きになってくれる人だって現れるかも知れない。
「絶対にあいつと同じになりたくない」って思っても出ちゃう事があると思うんだ。
親父に似た部分が。その都度思い返して矯正していこう。
引用元:http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1414581058/
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